ため息のように呼吸する「ささやかな歌」〜村上紗由里『あげます/泣いて泣いて』に寄せて


シンガー・ソング・ライター=村上紗由里、昭和フォークの影響を強く感じさせる彼女独特の音楽世界観であるが、今作ではこれから先の活動を、彼女自身のミュ−ジシャンとしての未来像を、簡単な予定調和の俯瞰では捉えさせないぞ!との宣言ともとれる、早くも異色のカードを切って来た。ジャケットなどで使われている写真のイメージも随分と変わった。

今年2016年3月、彼女自身がアルバイトを続ける渋谷の伝説のロック喫茶=B.Y.Gでの初ワンマン・ライブのタイミングに合わせて発表されたプレ・デビュー盤『無情』。路上ライブでの活動時代から何度も歌われてきて、自主制作の手売りCDとしても熱心なファンに届けられてきた3曲を収録したこの1枚で、まずは村上は自身の音楽活動の中での〈路上イヤーズ〉に一つの線を引いた(未だに機会あるごとに、路上ライブは続けているが)。
そして6月には、昭和フォークのカルト的名門レーベルであるベルウッド・レコードから全国デビュー盤となるミニ・アルバム『落陽』をリリース、ノスタルジックなメロディーに彩られた多様な音楽性、楽曲世界観を提示し、〈村上紗由里〉が進むべき方向性を日本の音楽シーンの片隅に向けてささやかに印象づけると共に、彼女はその作品の中で一つのチャレンジ提案を早くも実現させている。自らが手がけたオリジナル曲にある音楽性の訴求だけではない方法論、それは運命的にたぐり寄せられた最高の楽曲達との出逢いがもたらす、村上ならではのカヴァー・ソングの世界観の樹立であった。


『落陽』に収録された2曲のカヴァー・ソングとは。。。。


1曲は、昭和のフォーク・シーンを語る上で外す事の出来ない、その早すぎた〈サブカル的〉な慧眼を持って、当時の日本の最も鋭角的な文学/詩作の世界と、黎明期にあったフォーク・シーンを融合させた異才〜小室等氏が、自らのバンド=六文銭を経て発表された1stソロ・アルバム『私は月へは行かないだろう』(1971年発表)に収録した、『あげます』である。 「詩作」という世界においてはおそらく日本で最もポピュラーな才能の一人であろう谷川俊太郎氏の既存の「詩」作品にメロディを付すという、小室氏の斬新なアプローチが産み出したこの名曲。原曲の五月雨のように繊細で、驟雨のごとく刹那的なギターのアルペジオをバックに淡々と歌われた名作に、村上はピアノのアレンジ、しかもバラッドとしての大らかな楽曲アレンジという大胆な解釈で臨んだ。 結果このカヴァー・ソングは、楽曲をもちろん知らない若い世代の琴線には新鮮に響き、一方でオリジナル・フォーク愛好世代は、幻の名曲の再生がもたらした僥倖に歓喜することとなった。


もう1曲は、平成の〈失われた〉フォーク・ロックのシーンを天命のごとくに求道し続けている、そのあまりにも独自性の強い世界観と、有無をいわせぬ共感への訴求をもって多くの音楽ファンを惹き付けて止まない、異色のシンガー・ソング・ライター=長澤知之の2ndミニ・アルバム『P.S.S.O.S』(2007年発表)に収録されていた名曲『風を待つカーテン』である。 本来的に長澤自身の〈魂の救済〉を目的とされ編まれた(と筆者は独断と偏見からそう信じているのだが)一編の美しい叙情詩は、長澤のオリジナル作品に感じられる哀切と傷みを引き受けながらも、村上ならではの天衣無縫な解釈によって、敢えて誤解を恐れずに書けば、ドラマの『金八先生』シリーズのような、時代と世代を超える永遠不可避のテーマ、〈学校生活〉という強制的な容れ物に対して誰もが永遠に感じる葛藤と、その日々の合間に刺す明るい未来の光へのある種盲目的な信奉と傾倒というアンヴィヴァレントな価値観の成立という解釈を、見事に成功させている。


村上が構築した、彼女ならではのカヴァー・ソングの世界観の始まりだ。


そして今作、2曲のカヴァー・ソングのみで構成された、しかもアナログEP盤としてでしかリリースされないこの作品。曲の有り様、送り手と受け手の関係論、聴かれ方へのこだわり、そして曲とミュージシャンとリスナーの関係論の再検証提案ともとれるこの作品は、やはり冒頭に書いたように新人=村上紗由里が切るカードとしては、ちょっとした嬉しい驚きを伴う一枚だ。 収録された作品はと言うと。。。。


1曲は、前記した楽曲『あげます』の再カヴァーだ。 ミニ・アルバム『落陽』に中では、村上本人によるピアノでの完全な弾き語り。粗さも伴うが、それ故の初々しい〈初恋のときめき〉感は出色の出来映えであったが、この作品のヴァージョン、やはり本人の奏でるピアノ・サウンドと、饒舌にドラマティックに楽曲の世界観を謳い揚げるストリングス・カルテットとの鮮烈な共演はどうだろう!村上の〈歌〉が時空を超えて普遍的な美しさを獲得したとも思える至福感、圧倒的なヴァージニティーの体現!この隠れた佳曲をカヴァーしたのはもちろん村上が初めてではないが、ここまで天真爛漫に〈日々の輝き〉を謳い揚げたヴァージョンには今まで出逢った事が無い。半世紀以上を経て、この世界観を谷川俊太郎氏のもとにも是非ともお届けしてみたい。かつて小室等氏により別世界へと誘われた詩は、言葉は、イメージは、時空の中でどんな旅をして来たのだろうか。


そしてもう1曲のカヴァー曲、敢えて大問題作と呼ばせて頂きたい作品。 ミニ・アルバム『落陽』に収録されていた、先にも触れた楽曲『あげます』を聴いた音楽プロデューサーの森川欣信氏(村上の所属プロダクションの代表でもある)が、その「失われつつ有る名曲に再度スポット・ライトを当てる」と言う活動スタンスに大いなる共感を得たことが発端となって生まれたカヴァー曲だ。 「誰もが知っている曲ではなくて、もっともっと語り継がれるべき隠れた名曲にスポットを当てて、リヴァイヴァルさせると言う姿勢は、これまでの豊饒な日本のポピュラー音楽史の再検証のためにも大いに評価すべき」という氏の想いは、村上に奇跡の楽曲との出逢いをもたらしてくれることとなった。


多くの人にカヴァーされてきた名曲、ザ・フォーク・クルセダーズの『悲しくてやりきれない』は、作詞:サトウハチロー/作曲:加藤和彦、このコンビが共作した唯一の作品として、一般の人たちには理解されている。 ところがあまり知られていない事実だがこの二人の共作はもう1曲存在していたのだ。 それが、今作におけるもう一つのカヴァー曲『泣いて泣いて』である。


この曲は、ザ・フォーク・クルセダーズの解散後、一度だけ加藤和彦氏がパフォーマンスしている。それは1969年1月24日に渋谷公会堂で開催された〈さいどおめみえこんさあと:加藤和彦学芸会〉でのこと。後にも先にも『泣いて泣いて』はこの時以外、演奏され歌唱されたと言う記録が見当たらない。そのコンサートを観ていた森川氏の記憶を辿るに、当日のステージで加藤和彦氏は、この曲について次のように語っていたという。 「サトウ先生の家に遊びに行って、ギターを弾いていたらこの曲が出来ました。サトウ先生はその場で僕の曲を聴き、30分ほど座を外し戻って来たら、この詞が出来上がっていました」。 当時、17歳だった森川氏はこのコンサートに出向き、同行した友人がこのコンサートの模様をオープン・リールの6ミリテープにこっそり収録したらしい。森川氏は当時、この曲『泣いて泣いて』がとても気に入り、歌詞を聴き取り、メロディーを採譜し、そして折に触れては爪弾いて歌っていたという。 以下、『泣いて泣いて』と加藤和彦氏の想い出にまつわる、森川氏のコメント。 上記、17歳当時の『泣いて泣いて』との初めての出会いのエピソードについて語ったあとに続くものとしてお読み頂きたい。




後年、僕が音楽業界に身を置くようになり、加藤和彦さんとお付き合いできるようになった時、僕はこの曲について尋ねてみた。加藤さんは一瞬キョトンとしていたが、「そんな曲、よく覚えてるね?何十年も忘れていた」と言う答えが返ってきた。加藤さんによると「一度歌っただけでメロディーもうろ覚え、歌詞も忘れてしまった。当然、レコーディングをした記憶もない」と言うことだった。僕は加藤さんにこの曲との出会いの経緯を話し「いつかこの『泣いて泣いて』をレコーディングさせてください」と懇願した。「どうぞ」加藤さんはあの穏やかな笑みを浮かべ頷いてくれた。 加藤さんの楽曲の多くを管理しているフジパシフィックミュージック(フジパシ)に、後日この曲について問い合わせてみた。確かにこの曲はフジパシの管理楽曲となっていた。ところがなにぶん古い曲ゆえ、誰も『泣いて泣いて』に関して知る人はいなかった。しかも譜面はおろか、歌詞までも見当たらないと言う状況だった。 当時、僕の友人が無許可諾のまま録音した6ミリテープはすでに行方不明、そして歌詞も僕の聴き取りであるがゆえ、サトウハチロー氏が歌詞のどの部分に漢字を用いていたのか、はたまたカタカナを使っていたのか?その原稿が残っていない訳だから、正しい文字使いも不明なままである。僕の記憶のみが頼りであるので、ある日そのメロディーを確認するため、恐る恐る加藤さんの前で『泣いて泣いて』を口ずさんでみた。加藤さんはその日も穏やかな表情で「そんな感じかな」と答えてくれた。おいおいこの曲については調査を重ね、いつかは加藤和彦名義でこの曲をリリースしたいと考えていた。 その時には、まだまだ僕たちにはたっぷり時間があるはずだった。。。。


加藤さんが亡くなったのは、2009年10月16日。 僕はその2週間前、10月2日にユーミン(松任谷由実)のコンサート楽屋で加藤さんにお会いしていた。それが加藤さんと会話した最後だ。加藤さんの帰り際、僕はエレベーターホールまで加藤さんをお見送りした。「来年は是非一緒にお仕事させてください」そんな僕の問いかけに「そうだね」と加藤さんはあの柔らかい笑みを浮かべた。加藤さんにお願いした「お仕事」、その中の一つに『泣いて泣いて』のレコーディングが含まれていたのは言うまでもない。


あれから、7年が経った。結局加藤さんとの「お仕事」は実現しなかった。 『泣いて泣いて』は幻の作品として僕の心の中で永遠に刻まれるはずだった。 『泣いて泣いて』、加藤さんのあの震えるような柔らかい、それでいて染み入るように深く強い歌声が、僕の心の中でずっとずっと鳴っていた。




今年2016年の初め、森川氏は村上が歌う『あげます』を聴いた。10代の頃、小室氏が歌っているのを聴いて以来、何十年ぶりかの事。オリジナルの語り口調の歌、とりわけその歌詞の素晴らしさに胸を打たれたのを、森川氏は懐かしく想い出した。 「村上が歌う『あげます』には小室等の歌うそれよりリアリティーがあった。それは、思いつめたような決意のリアリティーだった。少女が女性へと変化してゆく〈過程〉の思いが詰まっていた」とは村上の歌を聴いた森川氏の感想コメント。そして森川氏は、村上の『あげます』を聴いた時、ふと加藤和彦氏の『泣いて泣いて』が頭を過ぎったという。 「谷川俊太郎、サトウハチロー、二人の詩人が同時代に綴った言葉にはどこか同じ匂いがあった。小室等、加藤和彦、同時代に紡いだシンプルな和音とメロディーラインには、同じ風の振動があった。」との想いが。。。。


それはあの60年代後半のこと。アメリカ、ロシア、中国、世界中を覆っていた政情不安がもたらしていた暗鬱とした閉塞感。そうした一方で、人類は月に到達し、そして、日本は東京オリンピックを境に、大きく経済成長に向け闇雲に突き進み始めた。やがて訪れる70年代に対して、世界中の若者たちは不安で揺れていた時代。そんな若者たちを乗せた〈船〉の見張り塔にはザ・ビートルズが、ボブ・ディランがいた。 「加藤さんが在籍したザ・フォーク・クルセダーズは、そんな時代に日本に生まれた。PPM(*編者注:ピーター、ポール&マリー)フォロワーズにいた小室等は、六文銭を結成した。生まれるべくして生まれた時代の歌があったのだと思う。前記した2曲も、もちろんのこと。」(森川氏・談) そして、そんな背景を前提に、以下のようなコメントも。




2016年、こんな時代に必要とされている歌があるとしたら、それはどこか60年代後半のミュージック・シーンと重なるものであるような気がする。


飽食の時代は過ぎ去り、いちばん〈少ない生き方〉をするものがいちばん〈豊かに生きる〉ことになるであろう時代、そんな時代が必要する歌があるとすれば、それは、あの(60年代後半の)ミュージック・シーンに息づいていたものの中に、ヒントがあるのではないか。


そう、それは例えば、ため息のように呼吸する、ささやかな「歌」
時代を遡り、村上が歌った『あげます』も、そんな「歌」の一つになるかもしれない。


だから『あげます』を聴いて、村上に『泣いて泣いて』を歌ってもらいたいと思ったのだろう。




元々、ミュージシャン/(人生の)スタイリストとしての加藤和彦氏に大いなる敬愛の念を抱き、影響を受けていた森川氏が、この埋もれていた、まさに失われそうになっていた名曲『泣いて泣いて』に対して、今回この村上作品を以て、予想もしなかった〈次章〉を与える事となったのだ。


そういう意味で、今作は、まさに「甦った幻の名曲!」と呼ぶべきカヴァー・ソングの誕生と言えるだろう。


森川氏が記憶を辿ってギターで再演した歌を、村上がi-Phoneに録音し、自分なりにピアノ曲としてアレンシし、育てて行った。この楽曲の中で村上が奏でるピアノのイントロのフレーズは、加藤氏がオリジナルの『泣いて泣いて』で弾いていたギター・フレーズを、彼女が忠実にコピーしたものだ。夜更けの雨だれのような訥々と切ないイントロから、ピアノの単音のみのリフレインの上でひっそりと哀感に満ちた歌が始まる美しいアレンジは、現在の村上が出来うる限り最高の〈カヴァー・ソングの在るべきスタイル〉に対する応えであろう。


結果。。。。この2曲のカヴァー・ソングのカップリングからなる今回作品は、晴れて森川信欣氏のプロデュース作品となった。村上、運命の出逢いである。末筆ながら、この曲も控えめなストリングス・カルテットが、胸を締め付けるような美しい調べを奏でている。


さてさて。。。。
村上紗由里がこれから向かおうとする音楽的な道程。
昭和の夢を胸に抱き、紡ぎ出すメロディーは心に沁みる純粋さに満ち、選ばれる言葉はシンプルそのもの。そして未知の名曲に出逢い、心ときめかせカヴァーを試みるという懐かしくも新しいシンガー・ソング・ライターとしての在り方、その道程。
普遍的な評価を獲得して、万人から愛され、長い長いものとなるのだろうか?
それとも平成のカルトとなり、やがて彼女の遺していく感じの良い作品の数々がコレクター・アイテムと化し、オークション・サイトで高値のものとなるようなマニアックな幻のミュージシャンになるのだろうか?


誰にもそれは解らない。


もちろん今も毎週、どこかで彼女は必ず歌っている。ギターを弾きながら、ピアノを弾きながら。来春に向けて次作となるミニ・アルバムの準備も順調に開始されていると言う。 「歌っているのが最高に幸せです(照笑)」。
村上紗由里のシンガー・ソング・ライターとしての本質、そして今作にあるカヴァー・ソングの体現者としての本質は、まさにその言葉に尽きるのかもしれない。


歌え、村上、歌え!!


(文・某野悦二)
*文中で一部敬称を略させて頂きました。