村上紗由里『すいかずら』。「想い」の轍と、「純真」の傷跡のある音楽、再び。


村上紗由里の2ndミニ・アルバム『すいかずら』が完成した。

一聴しただけでは全くの時代錯誤とも感じられる音楽的アプローチは、もうここに至っては村上の音楽世界観としてのある種の「開き直り」のような強烈な確信すら感じてしまう。そういう想いで改めて聴いてみると、『すいかずら』が宿命を感じさせながら辿ってみせる、昭和歌謡からフォーク・ソング、そしてニュー・ミュージック的な感性へと曲を追うごとに趣を変えて行くその様は、60〜70年代の日本のポピュラー・ソングに対する憧憬と、そこへの立ち向い方としては実に的を得た正しい解釈、とっても心地よい作品であるという享受に至ってしまう。


昨年6月にリリースされた、実質的な彼女の全国デビュー盤にあたるミニ・アルバム『落陽』は、誤解を恐れずに書けば、村上紗由里というミュージシャンの、音楽シーンにおける「居場所のない違和感」の楽しさが満喫できる作品であった。純粋に〈70年代フォーク〉に対して自らのアイデンティティを投影し、そこに何かを希求する様は、もしかしたら滑稽なモノとしてしか受け止められなかったかもしれないリスクを併せ持つアプローチであったが、結果として集まった作品への評価はとても好感度の高いものが多かったようだ。 村上はごく自然体で、孤軍奮闘のシーンの一端を創設したのだと言っても過言ではないかもしれない。小さなシーンではあるが、大切な第一歩である。


今作『すいかずら』、そして取り分けリーディング楽曲となる表題曲『忍冬(すいかずら)』は、〈流行歌〉の一つの在り方として、それが本来帰着しなくてはならない〈ヒット・ソング〉というピン・ポイントの訴求を夢見るべき作品であり、そして同時に〈流行歌〉の宿命、そこにおける雑多な評価に戸惑う十字架を積極的に背負うべき「言い訳拒否」のテーゼにしっかりと向き合った「決意」を感じる作品である。『すいかずら』は、ノスタルジーと奇妙な新しさが去来する、マジックのような作品世界観(村上ならではの)を感じさせる説得力を持った作品だ。


かつて昭和の街には数多知れずあった「名画座」のある風景のような味わいなのだろうか?ほんの300円ほどの木戸銭で、一日に何本もの名画を堪能できた、あの空間。「時間」と「作品」と、そして作品に向う主体者のスウィッチが決定付ける感性の契約ともいえる、あの世界観。村上の描き出すリアリティが、それと背反しながら同時に伴おうとする架空の世界観は、その昭和の名画座の空気感に、少し似ている。


「非日常」と、あっけらかんとした「日常」の間を自由に闊歩する、村上作品。そしてテーマとテーゼの間で、心地よくも不安定に揺れる、作品の世界観。他人(ひと)から愛される事を予め想定する勇気の持てなかった、「個」のつぶやきが結実した世界観が獲得した、かけがえのない「光明」の瞬間。 『すいかずら』はそんな風に、そういう感覚を共有しながら暮らしている人々全てのノスタルジックな時間に、センチメンタルな情緒を投影できる作品になっていくかもしれない。 そして結果として、ノスタルジックな感覚だけでは語りつくせない、かつてそんな情景の本質にあった「想い」と「純真」の、新しい〈現在的〉な証明を提示していくかもしれない。


最後に作品のコンセプトのお話ばかりでなく、サウンドのテイストの重要なお話も記述しておかなくては!今作の数曲において、重厚なバンド・サウンドを鉄壁のバランスで支えてくれた手練の職人達の存在について、ここで記しておくべきであろう。

吉田拓郎、南こうせつ、昭和のフォーク、その後の音楽に大きな影響を与えた巨匠達が最も愛し、必要としたギターリスト=徳武弘文。そしてさらには彼のバンドである鉱石ラヂヲのメンバー、ベースの六川正彦、スティール・ギターの尾崎孝、ドラムスの高杉登。バンドのメンバー一人一人が奏でる音、それは昭和の歌謡曲、フォーク、ニュー・ミュージック、あの頃の日々聞こえてきた「流行歌」を体感している全ての人々、言ってしまえば全ての日本人が、その音を絶対にどこかで一度は聴いたことがあるはず!と言っても過言ではない彼等、その「時代の音楽」を創ってきたプレイヤー達が『すいかずら』の中の3曲のバンド・サウンドを支えてくれた。そんなメンバーによって創設された、サウンド・スケープの一端もここにある。

村上も使用しているアコースティック・ギター=Amrita Custom Guitars。そのイベントのご縁で出逢った「伝説」のミュージシャン達が、村上の音楽世界観に興味を持ち、イベントで彼女の楽曲を演奏し、それを楽しみ共感し、遂には今回のレコーディング参加に至ったという奇跡!!


『すいかずら』の作品世界観、時代錯誤的なこのアプローチはどのように今の音楽シーンでとらえられるのか。そしてそこから喚起されるであろう様々な誤解や勘違い、それを村上はどのような活動とパフォーマンスによって正当化していくのか?
ほわッとニコやかな村上の佇まいに騙されるべからず!
彼女の音楽世界観には、そもそも〈天然〉トラップが盛り沢山だからだ。。。。


音楽の進化は繰り返す。しかし、そんな中で音楽的な冒険を厭わないリスナーは、時として作品における「どん欲な退化」をも享受することができる。
うん、村上紗由里の決意は、そこにも似たり。




1. 忍冬(すいかずら)

瞬時で世界のネットワークを一環として繋ぐ事の可能な2017年現在において、あまりにも懐古主義的、かつ鮮烈な郷愁を伴う楽曲でこのミニ・アルバムは幕を開ける。 この楽曲、実は前作『落陽』(2016年6月1日リリース)のレコーディング時には、既に朧げながらもその産声を上げていた作品である。当時『落陽』で目指した世界観との整合性がとれずに、結局断片的なデモのまま完成型に至らず、とは言え印象的なメロの人懐っこさ故に、〈チーム村上〉では忘れることができずに、じっくりと温められていた楽曲。 最初のデモが届けられた時からの楽曲仮タイトル変遷は「(仮)ロシア民謡」〜「(仮)メリー・ホプキン(『悲しき天使』のイメージ)」〜っていう感じ。そこからも、当初この楽曲が夢見ていた完成形における不安定性(苦笑)が読み取れるが、決定的に楽曲のイメージが見えたのは、メロディに込められた想いをどこに奉納するかっていう目的が見えた瞬間。この曲をもって、出きる限りの昭和歌謡から昭和流行歌へのリスペクトを楽曲/メロディの中で顕在化させようという。

マイナーとメジャーをシンメトリーな構成の中で行ったり来たりする、往事のポップスの作曲手法としてはよく見られたメロディ展開。 結果、村上とスタッフの間では、強い想いで東京オリンピックというボンヤリとした明るい未来である2020年に向かう日本にとっての新しい『リンゴの唄』(言わずと知れた、1946年発表、戦後初の大ヒット曲)を目指して、この楽曲は殉教すべし!と決め打たれた。メロディのフック、歌の感覚、唄の演出、とにかく迷う事無くやれる事、考えられる事、アイディアの全てを詰め込んだ。僭越ながらも伝説的名曲へのオマージュ的な作品を目指した 思い切ったイントロのフレーズのアイディアは、村上作品でこれまで変わらず敏腕を振るってくれてきたピアニスト=山本隆太によるもの。楽曲全編を彩る尾崎孝のラップ&スティール・ギターの〈THE昭和!!〉な音色と旋律の切なさ、しっとり感は白眉である。そんなフレーズの感覚も含めて、コーラスのアレンジ、楽曲途中の〈語り〉解釈、とにかく思いつけるだけの「昭和歌謡感」を体現しちゃおう!っていうアプローチと楽しさ全開の楽曲が完成した。 2017年から未来を目指す、〈進軍村上〉の旗印の1曲となる作品誕生である。




2. 面影橋から

名曲再考&復活プロジェクトとして、そこに臨むのが村上カヴァー楽曲選考委員会。村上本人を中心に、シビアかつたくさんの発見が得られる「隠れた名曲」の探索模索がなされている、このミーティング。参加者全員の名前をここでは書けないが、選曲委員(笑)のメンツが毎回、強烈で濃すぎるスタッフばかり。 今作においてはM-3『泣いて泣いて』の選曲とリリースが先にあり、すでに圧倒的な存在感を示していた(リリース形態がアナログEPとカセットテープだけっていうのもコアな音楽ファンの間で密かな話題となっていた)ものであったが、この及川恒平作品のセレクションも、そのM-3を村上カヴァーに導いた音楽プロデューサー=森川欣信のアイディアによるものだ。

前作『落陽』で、小室等の『あげます』を鮮烈な感性でカヴァーした村上の感覚に対して、森川からの最初の提案は先にも書いたM-3のカヴァー実現と1stミニ・アルバム『落陽』に収録されていた前記にもしたピアノ弾き語りカヴァー『あげます』の別ヴァージョン(弦楽四重奏をサウンドのメインとする)のレコーディングであった。そして、そのアナログEP&カセットテープ作品『あげます/泣いて泣いて』で初めて村上作品に関わった森川が、2曲の作品レコーディング作業中当時から言及していたカヴァー候補の作品の一つがこの『面影橋から』である。「あの曲、村上にはバッチリだと思うぜ、って言うか聴いてみたいんだよ!」って。 そうした経緯を経て、このカヴァー曲が実現。アレンジは〈歌謡曲〉と〈フォーク・ソング〉が橋を架け合う70年代の微妙な時代感覚、その感性を重要視したイメージを大胆に採用することに。

村上のキャラ冥利に尽きるのか?今回このレコーディングを面白がって集まってくれた手練の演奏陣によるアレンジは、音楽ファンならば首肯しきりのネタ満載!少しだけネタバラシをすると。。。。ペダル・スティール・ギターの旋律は上記の時代感覚の中、本当に2〜3年間ではあるが王道であった〈歌謡曲×演歌×フォーク=もしかしたら新しい時代の定義??〉パターンの完全復活。そしてリズム隊が演奏をしながら何となく感性を合わせていたイメージは、邦楽70年代における〈上手いバンドとしての解りやすさ〉解釈宝庫のバンド=STUFFのようなフュージョン感だったり。さらにエレキ挿し音においては70年代時代劇風(アウトロー・ムーヴィーの影響を受けた世界観、『子連れ狼』や『木枯らし紋次郎』だ)サントラの解釈もアイディア提案にあったり。さらにはエレピやコーラスのアレンジ感覚における、やっぱり70年代青春ドラマ風(時代にそぐえない愛すべき三人組が主人公のよう)な空気感を想起させるものだったり。。。。

そんな「想像力の遊び」は、楽曲の完成/成就に向けて、シンガーとプレイヤーが共有し想定するアプローチの充実に向けては最高に貴重で、楽しいものであった。 サウンドに流されず、濃すぎずに!濃すぎずに!!って冷静に、かつ抑制されたパッションで楽曲解釈に向う村上の姿勢、歌のスタイル、彼女の新局面が見いだせるカヴァー・ソングが完成しました。




3. 泣いて泣いて

2016年の暮れも押し迫った時期にアナログEP&カセット・テープ限定で発売された作品『あげます/泣いて泣いて』から、加藤和彦作品で、彼の未レコーディング作品であり、超マニアックな逸品探索のカヴァーが、待望の初CD化、収録された作品。

この曲、この作品に関してのエピソードを書き始めると切りがない。。。。 詳細はそのEPリリースの際に記された資料、こちらをご一読をいただければ幸いです。

音楽、そしてそれを収録して発表する作品には「意味」と「意義」、そしてそこに込められる「命」が必要なのだ!という、大切なエピソードが記載されている。 この楽曲の感性が訴求するものの全てに対して、グッときて、泣けて来る。 前出の音楽プロデューサー=森川欣信プロデュースのEP作品、カップリングの『あげます』のヴァージョンは唯一、前出のアナログ作品の中でしか聴けないので、お聴き逃しのないようにご注意を。




4. 花嫁になるあなたへ

定期的に、村上からフッとスタッフに提案される新曲のイメージやデモ断片。ある日、「なんかこんな感じのメロディなんですが。。。。」とスタッフに届けられた、この楽曲の最初の一歩。雰囲気、どこかで聞いたことあるような?いや、初めてのような?ニュー・ミュージック?強烈なノスタルジーの喚起。。。。あまりにもシンプルでピュアな作品/メロディだったので、これは〈急がず焦らず、丁寧に育てよう!〉作品BOXに一度封印されることとなった。2016年、秋頃だと記憶される。

しかし時を経ず、今回のミニ・アルバム制作に際してこの楽曲は早くも楽曲完成に向けた土俵上に乗せられることとなった。楽曲のラフな断片それぞれが持つ美しさが際立っており、村上の新しいスタンダードの一つになる可能性が大きい楽曲になるかも!?という判断がスタッフ間でなされたのだ。 村上がピアノで奏でていた♪ラララ〜のデモ当初より、確かにメロディの良さは当初より光っていた楽曲であったが、歌詞のテーマは、このミニ・アルバムへの採用が決まっていた時点でも、まだ全く決まっていなかった。 どんどん楽曲構成が決まって行く中で、それを追走するようにして村上が一度は完成型として提出してきた歌詞は、実は「結婚を意識し始めたカップルの、純粋でぎこちない心理的やりとり」をベーシックとしたものであった。松任谷由実の名作『Anniversary』にもチョッと影響されていたり?まぁ、それはそれとして、十分に世の中に発表できるような歌詞レベルに達していたのだが。いやいや、ところが、ほぼほぼ完成していた歌詞に対して、村上から急に却下!の連絡があったのだ。プチ感動的な結婚前の決意エピソードの歌詞ではなくて、むしろマリッジ・ブルーをテーマとした、先の歌詞とは真逆の内容に書き換えてみたいという提案。

マリッジ・ブルーのテーマの楽曲?でも、これって意外に過去世の中での発表作品で、これぞっていう代表曲が思い当たらないぞ??っていうスタッフ間での検証、盛り上がりもありつつ、じゃあ書き直してみよう!!と。結果、当然のことながら提案者の村上にプレッシャーがかかることとなる。レコーディング直前のかなり時間の無い中で、ゼロからスタートでこの楽曲の歌詞制作がリスタートされることとなった。

何度も何度も歌詞制作のミーティングが繰り返され、様々な試行錯誤があり、ベーシックなテーマがストーリー化されていき、そして!遂に「対話形式」という、ちょっと楽曲のRADIOプロモーションなどでは歌詞の解釈に問題が生じるかも?の冒険的なアプローチで歌詞も完成に向い始めた。そして、最後の最後でサビにおける「ねぇ、」の語りかけの解釈も、180度変わった。。。。村上も迷ったその解釈、直前までは「ねぇ」を語りかける相手は永遠を誓うこととなる彼に向けたものであったのだ。しかし、歌詞の完成一歩手前で、村上が出した解釈は前記の「対話形式」を保ちつつも、結果的には、親友からマリッジ・ブルーの悩みを打ち明けられた/打ち明ける、「女性二人だけ」の会話形式の歌詞の世界観となったのだ。村上、英断!!「想い」の混乱が解きほぐされた歌詞解釈と世界観に、スタッフはホッ!としつつも。。。。 残った問題はその「対話形式」の歌詞の世界観を、どうやって楽曲のアレンジに反映させるか、であった。普通にこの曲を聴くただけでは、もの凄く歌詞の「聞こえ方」での違和感があるはず。実際に、ライブでプレ完成型のこの曲を村上が披露した際も、聴く方々の解釈により、女のコ主人公の独り言っていうことを前提にされちゃって、独り言悩み事?彼に向けたもの?なんて感想も盛り沢山で、誰一人に対しても、正確に歌詞解釈をお伝えすることができていなかった。

村上とスタッフの悩んだあげく、たどり着いた皆様へのご提案、それは原点的な、凄くシンプルなご提案、〈歌詞カードを手にする必要のある音楽〉ってどう??というもの(爆ッ!!)。楽曲の本質にたどり着くために、ひと手間増えるという。でも、本来は楽曲はそんな風にして聴かれていたはずなんだよなぁっていう、村上音楽世界観らしい懐古主義を意識したもの。そう!昭和の時代の音楽鑑賞風景、歌詞カードや解説書を手にしながら音楽を聴くっていう!!それはそれで、ステキな風景だと思いませんか??う〜〜ん、まぁ、歌詞世界観訴求に向けてのスタッフのかなり無理な提案とは思いつつ、音楽的な正義は感じられるかも?そのせいか、歌詞カードのデザインもとっても凝った内容になっている。

末筆ながら、M-3『泣いて泣いて』に続いて弦楽四重奏と彼女のピアノ(パッヘルベルの『カノン』の間奏での導入/編曲アイディアも彼女によるもの)のアンサンブルというアイディアが、レコーディング時ギリギリのタイミングでチェロとの競演というアイディアに落ち着いた。美しいチェロのスコア(手がけたのはレコーディングのディレクターである時乗浩一郎)と村上のピアノの織りなす高質な空気感にもご注目いただきたい。とっても上品で美しいのだ。


追記 — 楽曲タイトル決定に関して。。。。 もう締め切りっていう直前まで『(仮)マリッジ・ブルー』であったこの曲。レコーディング帰りの終電間際の田園都市線二子玉川駅のホームで、もう今決められないんだったらこれだッ!っていうマネジャーの冗談半分のプレッシャー、それは吉田拓郎の隠れた名曲タイトル『花嫁になる君へ』(マネジャーが大好きな一曲でもあった)のタイトル・オマージュであった。なんせ村上のデビュー・ミニ・アルバム/リーディング曲のタイトルが『落陽』であったり。そう、全てのフォーク、70年代ミュージック・ファンが吉田拓郎の名曲とイメージを重ねてしまうタイトルでデビューさせていただいた村上にとってこの提案は、「!?!?」以外の何ものでもないはず。ところが、これが本人の中でスッと腑に落ちてしまったのか?「あれれ??意外と良いかもですね、それ!」っていうところから、このタイトルへと本人が自然に導いて行く事に。 村上、屈託の無さ、恐るべし。。。。




5.はあべすと

村上のライブを何度か観ていたり、彼女がライブ会場で手売りしていた手作りCDなどを聴いていただいていた熱心なファンの方々にとっては、この曲は元々『誓い』という彼女の路上ライブ時代の代表曲として良く知られていた作品がベーシックとなっていることにすぐ気づくはず。その『誓い』が、様々な与件から、進化した楽曲がこの『はあべすと』である。 この改題、メロディ構成変遷に至る要因は凄くシンプル。前作『落陽』で共作の機会に恵まれた天才・岡本定義(COIL)に続き、今作では稀代のメロディ・メイカー/コンポーザーである田鹿ゆういち(ガールズ・バンド=SCANDALや、元ちとせへの楽曲提供が有名)との出逢いがあったという事がきっかけ。 スタッフの会話レベルで村上作品、村上コンセプトに興味を持ち始めた田鹿がある日、前出『誓い』を聴いて、村上とコンタクトをとる機会に恵まれた。もともとのメロディ構成を聴きながら、うんうん、良いね良いね、と楽曲世界を覗いていた田鹿が、曲のサビに差し掛かると一転、あれれれ!?!?っていう反応。「惜しいなぁ、これ。村上さん、J-POPを意識しないところで曲を作って歌っていると思うんだけれど、このサビは何かちょっと矛盾してない?ピント外れじゃない?」となかなかの酷評が(笑)。それならば!と村上から田鹿への逆提案、「じゃあ、田鹿さんがイメージするなら、どういうサビのメロディを持って来るんですか?」と。まぁ、天真爛漫ないつもの村上スタイルでのご相談ではあったのだが。それを受けて真剣に反応してくれた、田鹿が持ってきてくれたサビの新しいメロ。そして楽曲構成に向けたちょっとした「遊び」とこだわりの提案。これがもう、最高にステキであったのだ。聴いて頂ければお解りの通り。

そんな経緯を経て、『はあべすと』は全く新しい楽曲として生まれ変わった。当然のことながら、歌詞もイメージを一新。元々あった原曲『誓い』は、村上が大好きなコミック『ONE PIECE』の、とあるシーンにインスパイアされた歌詞(村上は、2016年夏に『ONE PIECE』ファン本を出した出版元から、ご取材まで頂いたくらいのファンである)だったのだが、もうここは敢えて「心機一転」の想い一本であった。『ONE PIECE』無し! そして新たに創成された楽曲テーマ、村上提案は「農業男子」(!?!?)であった。人とは違う夢を持ちながらっていう設定、それがそこ(農業男子)であったという。。。。

当然、スタッフ間では強烈な戸惑いもあったが、ミーティングを重ねながら、その世界観ありきでイメージを発展させて行くと、それはそれでどんどん歌詞のアイディアはふくらんで行く。キーワードも出てくる。おッ!?良いじゃん!!みたいな。ちょっと冒頭歌詞の「麦藁」なんてところに元々の楽曲オマージュであった『ONE PIECE』感も残っていたりはしつつ、新しい楽曲の在り様に向けて、どんどん力強い言葉とストーリーが構成されて行った。 そして最終的な楽曲のムードの仕上げ。このちょっと漫画チックともとれる歌詞と登場人物(主人公の女のコ)のキャラ設定をしてみようよ!と、村上とスタッフの選んだ世界観は、園子温監督による名作映画『ヒミズ』における二階堂ふみ演じる破天荒な女性主人公キャラ。映画のストーリー設定はおいておくとして、作品中で二階堂演じるキャラ、想いを募らせる相手に対する「直球」っぷりは、もうまさに「これじゃない!!」っていう感じで、とっても作品の〈熱気創り〉の参考にさせて頂きました。

演奏面では過去の村上作品の中でも最も「バンド作品」を意識したものが出来上がりました。「シンガーを支える上手いバンド」という予定調和のメソッド(だって、そもそもバンドは超ベテランで、上手いんだし。。。。)ではなく、敢えて「私と!私のバンドなの!!」(だって、そもそもバンドは超ベテランで、上手いんだし。。。。)という世界観を目指したレコーディング。Jackson Browneの世紀の名曲『弧度のランナー(Running on empty)』を本人、スタッフ、そしてバンド全員で心の中で鳴らしながら、その感覚を目指してレコーディングに臨みました。 サビにおけるバックのコーラスは、これはもう、いかにも70年代にありそうであったニュー・ミュージック風なヤツを彷彿とさせようと。メインの歌メロをどんどんアげてくれるっていうパターン。敢えて歌詞はそんなオマージュも含めて、村上作品では異例の英語詞(笑)。「Say goodbye to what I was yesterday,Say hello to what I am today(昨日の私にさようなら、これからの私にこんにちは)」と歌っています。 オープニングのハープは、バンド=鉱石ラヂヲとワクワクの初競演であった、村上作品のパフォーマンス&アレンジにおける常連(村上がバイトをしているロック喫茶,渋谷BYGのバイト先輩でもある!)、先にも触れたピアニストの山本隆太によるもの。山本氏、レコーディング当日はかなりの体調不良の中で臨んでくれたパフォーマンス、とりわけ、このブルーズ・ハープ×イントロ・ピアノのBruce Springsteen感(敢えて狙ってくれました)には村上もスタッフも、グッときました。




6.さよならの歌

この美しい小曲/佳曲と村上との出逢いは、偶然か必然か。 2016年末、村上がかねてより敬愛し、愛聴していたシンガー・ソング・ライター=長澤知之(実際、1stミニ・アルバム『落陽』では、長澤の『風を待つカーテン』をカヴァー収録し、この楽曲は現在も彼女のライブにおける主要パフォーマンス楽曲の一つでもある)が発表したミニ・アルバム『GIFT』レコーディングに際して、長澤が長く長く大切に温めていた楽曲『風鈴の音色』を収録するにあたり、そのヴォーカルを村上に歌って欲しい(長澤作品の上で!)というリクエストがあったのだ。そこから、直感的天才アーティストである長澤のひらめきに対して、村上がどう応えるべきかの幸せな〈悶絶的〉葛藤が始まる。結果、J-POP的な解釈をストイックなまでに善しとしない長澤の楽曲世界観を前に戸惑う村上に、スタッフがヒントとして提案したいくつもの楽曲/歌唱アプローチの中にあった作品の一つが、実はこの楽曲『さよならの歌』であった。

映画監督、名匠=大林宣彦が、熱狂的なファンの間で「尾道三部作」と呼ばれている映画作品の中の一作『転校生』を、自らがセルフ・リメイク(このリメイク・アプローチがあまりにも素晴らしく、元来の三部作と併せても絶対に必見の一作だ。舞台は長野に移されている)した作品の中で、ストーリーを大きく左右する重要な楽曲として採用されていたのが、個性的なシンガー・ソング・ライター=寺尾紗穂の手によるこの楽曲である。シンプルな視点で描かれ、真っ直ぐに捉えられた死生観がもたらす感動、その琴線の波動に村上は完全に圧倒されてしまった。懸案の長澤作品におけるトライやアプローチに向けた参考/学習作品という課題を踏まえて、また別のものとして、この楽曲は村上の価値観を激しく揺さぶることとなったのだ。彼女自身の個人的な体験との照らし合わせも大きな要素となり、村上はこの楽曲のカヴァー採用を、今作において強く望んだ。

結果、ミニ・アルバムの最後を飾る、小さなしめやかなアンコールのごとき清涼感の漂う解釈のカヴァー・ソングが完成されることとなった。 余談ではあるが(重要なお話でもある!)、先にも触れた、この楽曲に向かい合うきっかけとなった長澤知之のミニ・アルバム『GIFT』収録の作品『風鈴の音色』における村上の超然としつつ、彼岸で凛々と渺々と響くようなヴォーカリストとしてのアプローチにもぜひとも触れていただきたい。 『さよならの歌』、この楽曲における世界観、その命の意味の去来がもたらす想いの捉え方。受け止めて、考えて、戸惑いつつそれを伝えるという姿勢、今までの村上のカヴァー・ソングへの向い方とはまた違ったアプローチが達成できた感動的な一作で、このミニ・アルバムは幕を静かに降ろすのだ。


(文・某野悦二)